60歳からの五島移住島へ帰ってきたロクさんと、10年後追いかけた比呂美さん
- 2 日前
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「五島暮らし」と一口に言っても、その暮らしぶりは人によってさまざま。これまでも上五島の親戚や知人にお話を伺いましたが、今後もゲストに時々登場いただくことにしました。そこで、「となりの五島暮らし」として新たにシリーズ化!
今回のゲストは、我が家のご近所に住むご夫婦・宮内緑郎(ろくろう)さんと比呂美さん。2012年、60歳で退職して故郷の上五島に帰ってきた“ロクさん”こと緑郎さんと、その10年後に緑郎さんを追って大阪から移り住んだ比呂美さん。ご夫婦それぞれに楽しくてしかたない「60歳からの五島暮らし」について、南こころがお茶の間で聞きました。
◾️島に帰るきっかけは「虎夫に会ったから」
こころ
緑郎さんは昭和27年生まれで、私の父・虎夫と魚目(うおのめ)小学校の同級生だったんですよね。卒業後は島を出て長崎市内の中学校・高校に進学、大阪で就職されたと聞きました。なぜ、上五島に戻ろうと思われたんですか。
緑郎さん
毎年、結婚記念日(東京オリンピックにちなんで10月10日!)には、比呂美と旅行をしていてね。2009年に大阪から上五島へ来たと。旅の最後に似首郷を車で走っていて、「この辺が虎夫の家やったなあ」と車を降りたら、「虎屋」って店の看板があって。虎夫がうどんや塩を作ってるなんて知らんかった。訪ねてみたら、酔っ払った虎夫が寝とったのよ。「虎夫、おれがわかるか」とゆうたら、「わからん」と。
こころ
前の日が、私の一番下の妹の結婚式だったから。父はかなり飲んでたでしょうね。
緑郎さん
卒業式以来、45年ぶりの再会よ。小学生時代の僕は体が小さかったけど、この頃は肥えとったから「ほんまに緑郎か」と。虎夫が4、5日泊まって行けと言うたけども、「来年のお盆にまた来るから」と大阪へ帰りました。翌年にもう一度上五島へ行ったら、同級生が10人ほど集まってくれて。
こころ
飲みながら、思い出話に花が咲いたでしょうね。目に浮かびます。
緑郎さん
僕は昔、足が速かったから、小学校のマラソン大会は一番で走ってたけど、最後の丸尾の上り坂で虎夫に抜かされたんよ。それが悔しくて何度も家族に話したから、子供が「このおじさんが、お父さんをマラソンで抜かした虎さん?」ってね。同級生同士、きょうだいの顔や名前も覚えてるし、何をして遊んだとか、昨日のことように話したなあ。

比呂美さん
私は長崎市出身だから上五島に知り合いはいなかったけど、すんなり仲間に入れてもらいました。ロクさんは同級生との飲み会で盛り上がって、「緑郎が還暦になったら五島に帰ってこればええ」という話が持ち上がったみたいです。

緑郎さん
それまでは65歳の定年まで働いて、釣りか山登りができるところへ移住しようと思ってたんやけどね。やっぱり上五島に帰ろうと、60歳で早期退職しました。
◾️認知症の母の記憶を取り戻す旅

緑郎さん
実はね、結婚記念日の旅に上五島を選んだのは理由があったと。母の認知症が進んでたんよ。比呂美は大阪で長らくケアマネージャーをしてたから、いい助言をくれてね。母を生まれ育った上五島に連れていったら、いい刺激になるんやないかと。両親と僕ら夫婦、子供7人で旅しました。
比呂美さん
懐かしい景色を見て海の匂いをかいだら、お義母さんはいろんなことを思い出されるはずと思って。
こころ
そうだったんですね。お母様は上五島に来られて、どんなご様子でしたか。
比呂美さん
私……、あの光景に涙が出ちゃった。似首郷の浜でね、虎ちゃんが義母の恵美子さんを、「エミーパーマのおばちゃん!」ってすごく懐かしそうに抱きしめてくれたの。お義母さんは若い頃にパーマ屋さんをしていて、島でそう呼ばれていたそうです。
こころ
あ! 私の祖母もエミーパーマでお世話になっていたと聞いています。島の人たちに慕われる方だったんですね。
比呂美さん
お義父さんも、孫たちに「この蛤浜で、昔はみんなで貝を探したとよ」って語り聞かせながら、一緒に砂浜を掘ったりしてね。家族にとっていい時間になりました。
緑郎さん
みんなで旅するうちに、いろんなことを思い出して。父は百太郎、祖父は金寿(きんじゅ)、曾祖父は百平(ひゃくへい)という名で、一緒に暮らした時期もありました。曽祖父は漁協の株主で、有川の鯨漁に出資しとったんですよ。

僕が小学生の頃は、たまに鯨やイルカが港に追い込まれて、漁師が獲る光景を見ていました。イルカも鯨かと思うほど大きかった。バケツに肉を配給してもらったなあ。ばあちゃんが肉じゃがにしてくれたと。料理上手で「かっとっぽ」(ハコフグの味噌焼き)の名人やった。
◾️10年間の別居時代も楽しかった
こころ
緑郎さんが上五島に帰られてからも、比呂美さんは大阪でケアマネージャーの仕事を10年続けられたんですね。長らくの別居生活、寂しくなかったですか。
比呂美さん
全然! 緑郎さんが島で暮らす姿は本当に楽しそうで、早く戻ってよかったなあと思ったし、私は当時55歳だったから、あと10年大阪で仕事を続けたくて。私は何にも気にしてなかったけど、周りからは心配されました。「一人で大丈夫? かわいそう」「旦那が遊び人やと大変やね」とか(笑)。
緑郎さん
最初の5年くらいは、車で大阪までよく帰ったなあ。フェリーと高速道路を使って15時間くらい。65歳過ぎてからは下関で一泊して、新幹線で来る比呂美と待ち合わせ。そういうのも楽しかった。特に冬は上五島だと寒いけん、ずっと大阪におったよ。
こころ
緑郎さんは、料理や洗濯は得意だったんですか。
緑郎さん
会社を辞める前の5年は滋賀の工場に出向して、寮生活やったんよ。鉄鍋を買って、料理を勉強した! 焼きそばやらボンゴレスパゲッティやら作って。若い子や外国から働きに来た子たちを呼んで、みんなで食べるご飯はおいしかったね。
比呂美さん
きんぴらなんて、マッチ棒みたいにきれいに切り揃えるの。ポテトサラダも上手よね。
緑郎さん
比呂美は大阪で、僕は滋賀。週末だけ一緒に出かけたと。高速道路の通行料が1000円の頃は、よく越前海岸に行ったね。海を見てたら島を思い出したんよ。上五島の海はあんなに海藻がいっぱいじゃないけど。
比呂美さん
きれいな透き通った海で、クラゲが大きかった。日本海と上五島は離れているけど海はつながってるでしょ。その頃から、島に帰りたい気持ちは育ってたのかもね。
こころ
今でいう週末婚ですね! お二人にそんな歴史があったなんて。

◾️2階同士がつながった古民家で
こころ
緑郎さんが上五島に帰ってきて最初に住んだお家は、私の実家のおとなりでした。当時、住み心地はいかがでしたか。
比呂美さん
虎ちゃん家のとなりの古民家を私も見せてもらったけど、ほんとに素敵で。階段は踏み板しかなくて、隙間から1階の部屋が見えるのがよかったの。2軒の2階同士がつながってるのも面白くてね。2階は虎屋の倉庫で、ロクさんは1階を借りて暮らし始めました。
緑郎さん
一夫(かずお)は大工やから、虎夫が頼んで倉庫に改装したらしい。
比呂美さん
虎ちゃんは我が家にとってアイドルみたいな存在で、娘たちも大好きだった。酔っ払うと、よく遊びにきてね。私と娘が12月生まれで、虎ちゃんが「誕生日の歌」を歌ってくれたの。
こころ
あっ、「誕生日はいいもんだ〜」っていう歌? 家族でも友達でも、誕生日なら誰彼なく歌ってたなあ。
比呂美さん
そうそう。すごくいい歌。あれって虎ちゃんのオリジナル曲でしょ?
緑郎さん
他で聞いたことないけん、虎夫の作詞作曲やろうなあ。
◾️夫婦それぞれ、60歳からの五島暮らし
こころ
緑郎さんは最近、どんな暮らしですか。
緑郎さん
昼は3日に1回釣りに出て、夜は飲む。今の時期なら、ハタ、タイ、ヒラマサかな。
比呂美さん
あとは、土曜会よね。わが家の縁側で毎週土曜に昼の2時から3〜4時間飲んでますよ。
緑郎さん
小学校の同級生が124人おって、大体顔と名前を覚えてるけど、5人くらいどうしても思い出せん人がおった。その一人が、今では毎週飲んでる一夫よ

比呂美さん
一夫さんは飲むと、小皿を2枚使って踊り始めることがあるの。あと、カラスとヤギの鳴き声が本当に上手で。
こころ
えっ、カラスとヤギ?
比呂美さん
鳴き真似じゃなくて。そこにヤギとカラスがいるって思ってしまうくらい、なりきるの。子どもの頃に飼ってたんですって。
比呂美さん
虎ちゃんもカズオさんも、そこにいるだけでオーラを発してる人ばかり。私は定年後の仕事が大阪で決まってたけど、この興味深い人たちと一緒に上五島で暮らしたいっていう気持ちが強くなって、3年前に移ってきちゃった。
こころ
とはいえ、比呂美さんは、初めて上五島で暮らす不安はなかったですか?
比呂美さん
これまでと全然違う暮らしができるって、ワクワクしましたよ。上五島でもケアマネージャーの仕事が見つかったのはありがたかった。それにね、スピード感が全然違うの。大阪では相談を受けたら即日対応が当たり前で、一人ひとりの利用者さんと向き合う時間が少ないのがずっと悩みでした。
こころ
そうなんですね、上五島ではお仕事がどんな風に変わりましたか。
比呂美さん
一人ひとりの利用者さんと向き合って、来し方やこれからどうしたいかという意思を「聞く」時間ができました。それが何よりもうれしくて。
緑郎さん
ほら、「ポコポコ会」で語りの活動もしとるやろ。子どもらへの読み聞かせとか。
比呂美さん
そうそう、小学校で絵本の読み聞かせや人形劇をするサークル活動をやっています。大阪でもしてたけど、子どもたちの人数が違う。大阪は1クラス40人近いけど、ここでは1学年10人くらいだから。一人ひとりの目を見て語りかけると、目を輝かせるんです。ああ、私はこういうことがやりたかった!って。
こころ
緑郎さんと比呂美さんの暮らしは、本当に豊かで楽しそう。お二人みたいに、一度は上五島を離れた人が戻ってきたり、縁がなくても移住してくる人が増えたらいいなと。
緑郎さん
そういえば、出雲を旅した時に蕎麦屋で知り合ったチリ人の一家が遊びに来て、上五島を案内したと。他にも、「人生を見つめる旅の途中」っていう若いカップルが土曜会に飛び入り参加してね。上五島が気に入って、いよいよ移住を決めたらしい。
比呂美さん
私も、今ではすっかり馴染みましたね。ご近所さんから「お赤飯取りにおいで」って電話がかかってくるんです。1日と15日、恵比須さんの日にお赤飯を炊く習慣があるのは、漁師さんのお家ならではだなあとありがたくて。皆さんのおかげで、私たちは夫婦それぞれに五島暮らしを楽しんでいますよ。
こころ
初めて聞く話が盛りだくさん! これからも、いろいろな五島暮らしの姿を皆さんにお伝えしていきます。ありがとうございました。












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