虎夫さんへの手紙①「大工の嫁になったのに」と言われたけれど虎屋へ
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2026年2月11日、虎屋の創業者で、妻・こころの父である犬塚虎夫さんの命日に13回忌を行いました。親族が公民館に集まって賑やかに。僕は「法事の準備はいいから、寿司を握って」と言われて、250貫握りました。「虎じい」の思い出やそれぞれの近況を語り合う光景を、虎夫さんは喜んでいたと思います。
虎夫さんが亡くなったのは2014年。近頃は、「なんで虎屋っていう名前なの?」と、社名が創業者の虎夫さんに由来することを知らないお客さんも増えてきました。虎夫さんのことをもっと伝えたい。そこで、今だから言葉にできる思いを、2通の手紙に書きました。どうぞお付き合いください。

虎夫さん
僕が「虎屋に入りたい」とお願いしたのは、虎夫さんが亡くなる1年前でした。
「慎太郎が入ってくれるなら」と、うれしそうな顔をしてくれましたね。でも、虎夫さんがその後、悩んでいたのを僕は知っています。22歳でこころさんと結婚したけれど虎屋に入らなかった僕は、兄の会社で大工を続けていました。自分で言うのも何だけど、ちょっと腕利きだったから現場で引っ張りだこだったのは、虎夫さんも知っていたでしょう? だから、僕に大工を辞めさせていいのかと、兄の会社への遠慮もあったんですよね。
実家との縁が切れても仕方がないという覚悟で、34歳で虎屋に入ろうとを決めたんです。こころさんはずっと、「虎屋の仕事はやらなくていい」と言っていました。これは僕の想像ですけど、長女として引き継いで、自分の代で終わらせようと考えていたんじゃないでしょうか。昔から家業を手伝ってきた彼女には、虎屋から解放されたい気持ちもあったのかもしれません。

でも、僕はどうしてもがまんできなかった。
虎夫さんが病に倒れて、このまま虎屋がなくなってしまうことは。こころさんに「虎屋に入ることにした」と事後報告したら、「私は大工の嫁になったのに」と言ったけれど、僕の気持ちを尊重してくれました。
虎夫さんも僕も、五島の海で生まれ育ったやないですか。この海を大事にしたいという思いを持つ同志だったと、今では思います。大工の仕事も好きでしたけど、当時は便利な道具もなく体を壊す先輩も多かったから、僕は大工よりも海に関わる仕事を長く続けたいという気持ちが、弾けそうに膨らんでいたんです。
虎夫さんは職人気質で突き進む人だったから、周りからは破天荒だと言われていましたね。でも、「うどんを作るなら塩から手作りしたい」という信念から、うどんの工場前に小さな釜を据えて海水を焚き始めた行動力はすごかった。1997年に塩専売制度が廃止されるまで、世の中に出回っていたのは、1㎏200円程度の人工塩(塩化ナトリウム)。自然塩を作るなら10倍の価格になるから売れる見込みなんてなかったのに、長崎県で初めて事業所登録をして自然塩を作って売り出した虎夫さんの先見の明を、僕は職人として事業家として尊敬していました。

うどんの製造はこころさんに任せて、僕は塩作りに集中しようと、まずは古い工場や釜を修理しました。見よう見まねで海水を汲んで煮詰め、塩らしきものが仕上がった時、「できるやん」と高を括っていたんです。案の定、虎夫さんの塩を仕入れていた得意先から「前より辛い、おいしくない」と言われました。でも、虎夫さんは作り方なんて1ミリも教えてくれんやったやないですか。虎屋の塩の製法は虎夫さんの体の中にしかないんだな、もう自分でやるしかないと腹を括りました。
なんで、僕の塩は辛くて苦いんやろう?
問いを立てては実験の繰り返し。手がかりは、虎夫さんの後ろ姿でした。虎夫さんが中秋の名月に海水を汲んでいるのは知っていたので、「大潮の満潮の海水ならそんなに味が変わるのか?」と半信半疑で真似したんです。すると、もう全然味わいがちがう。とても豊かな味の塩ができました。その理由は、大潮の時に潮が満ちると海水が海底から攪拌されて栄養分が増えるからなんですね。虎夫さんは、なんでそんなことを知っていたんですか。
そして、今だから懺悔します。僕の塩は、欲張りすぎたからダメだった。最初は、「海水から取れるだけ取ってやろう」と考えていたので、海水をギリギリまで煮詰めて結晶化させて、「できた!」と思っていたんですよね。でも、煮詰めすぎて雑味が出てしまった。
どこまで煮詰めるべきか、いろんな条件で実験して、自分なりに黄金ルールを発見しました。一定の濃度まで煮詰めたら冷まして、不純物やマイクロプラスチックを沈殿させてから、仕上げにもう一度火を入れるといいと気づいたんです。
ここに辿り着くまで、毎日が一人反省会でしたよ。「昨日はできたのに今日の塩はダメなのはなんで? 何が良くて何がダメだった?」と自問自答を繰り返しました。
そして、ある日のこと。
「この結晶のかたちをお客さんに見せたい!」と思える、めちゃくちゃきれいな塩ができました。

虎夫さんの塩ともちがう、僕の塩。これからは虎屋の塩として売っていくんだ、と思えるものができたんです。虎屋入って丸1年が経っていました。
目指すものがわからないまま、手探りで実験を続けるのはきつかったけど、僕も職人なのでその過程は面白かったんですよ。わからなかったことがわかるようになる瞬間はめちゃくちゃうれしいって、虎夫さんならわかってくれますよね。
欲張らないこと、これが最初の発見でした。












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