虎夫さんへの手紙②「何も教えられなかった」おかげで今の虎屋があります
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2026年2月11日、虎屋の創業者で、妻・こころの父である犬塚虎夫さんの命日に13回忌を行いました。虎夫さんが亡くなったのは2014年。最近、「なんで虎屋っていう名前なの?」と、社名が創業者の虎夫さんに由来することを知らないお客さんも増えてきました。虎夫さんのことをもっと伝えたい。今だから言葉にできる思いを手紙に書きました。1通目(こちら)に続いて2通目も、どうぞお付き合いください。

虎夫さん
虎屋に入りたいと虎夫さんに頭を下げたものの、「これが僕の塩だ」と胸を張れるものがなかなか作れない自分を、歯痒く思っていました。でも、虎夫さんは僕を職人として信頼してくれていたでしょう? 「自分で考えて、答えを出したことは必ず身になる」と信じていたから、何も教えなかったんだろうと今では思っています。
納得できる塩ができるまで1年。「まあるい塩」という名前をつけて販売するのに、もう1年かかりました。
塩作りを効率化させるため、僕は長年大工として培った技術を活かして、漁師の網を再利用した塩田を設計しました。海水をどれくらいの濃度になるまで乾燥させて、火入れするか。効率を求めて濃度を上げすぎると、辛い塩になってしまうので、「欲張ったらダメ」と自分に言い聞かせながら、これだ!という濃度を割り出すことができました。

塩作りに手応えを感じたので、次はこころさんに「うどんにも関わらせてほしい」とお願いしました。まずは、老朽化した工場の修理から着手。夏は暑くてうどんの品質にムラが出安く、働く人への負担が大きいこともずっと気になっていましたから。工場をテコ入れすれば、うどんの品質や生産量も安定するだろうと考えたんですね。
やがて少しずつ虎屋の業績が上向きになってきたので、「虎屋を会社にしようか」と二人で話し合うようになりました。
虎夫さんが亡くなって、虎屋の火を消したくないと飛び込んだ僕ですが、ずっと自分は「部外者」だと思っていました。虎屋には、こころさんをはじめ虎夫さんの実の子どもたちがいましたから、僕は一歩引いて支えようと。
あれは、虎屋を会社として登記するために法務局へ向かう車の中でした。書類には社長の名前に「南こころ」と記入していました。でも、運転しながらふと思ったんです。これから事業を大きくして生産量も人も増やしていくなら、大きな判断もつきまとう。その責任は僕が負って、会社を引っ張った方がいいんじゃないか、と。
「俺を虎屋の社長にしてくれんか」。
気づけばそう言っていました。すると、こころさんからこう返ってきたんです。
「私はその言葉を待っとったんよ」
「虎夫さんが始めた事業だから、子どもたちが継ぐべき」という考えに、僕もこころさんも長らく縛られていたんですね。ふらっと入った自分が社長になるのは、失礼だと。でもこれからは、新しい虎屋になるための判断をしてもいいじゃないか。2人でいっせーのーで、踏切りました。
2017年、虎屋を会社化して僕が社長に就きました。
さあ、ここから。40歳が見えてきて、僕はもう一踏ん張りしたいと奮い立ちました。稼ぎ頭であるうどんの生産量を3倍に増やすために、新工場を建てようと考えたんです。
設計や施工をできる限り自分で手がけて、半分の予算に抑えることを目指しました。大工仲間の助けも借りつつ、2年がかりで完成。
一緒に虎屋で働いてくれるスタッフも募りました。ただ、この時点で僕はまだ塩作りを人に任せられませんでした。虎屋に入ったのは海に関わる仕事がしたかったからで、塩には並ならぬ思いがあったので。とはいえ、人に任せることができなければ、生産量は頭打ちですよね。
このままでは、虎屋は変われない。
そう感じた僕は、工場から離れる決意をしました。そして、仲間たちが安定して塩やうどんを生産できるように、マニュアルを作ったんです。それまで「できないこと」を山のように重ねてきた経験が、ここで役立つなんて。煮詰める時間や濃度、不純物の除去の仕方など、「つまずきやすいポイント」を、みんなにわかりやすく説明できました。一番伝えたかったのは、虎夫さん直伝の「自分で考えて、答えを出したことは必ず身になる」ということ。だからずっと、僕も仲間もそれぞれにいろんな試行錯誤を続けています。
会社にして3年、虎屋はようやく成長軌道に乗りました。虎屋でしっかり自分の給料を稼げるようになるまで、僕は大工と漁師と塩とうどん、四刀流で働いていましたからね。
そして、2024年3月15日、念願の「島diningとらや」をオープンさせました。僕とこころさんが、仲間たちと一緒に新しい虎屋を育てていく場所として。島の人たちがたくさんお祝いに来てくれて、かつては僕が虎屋に入ることを反対した親族や友だちも、「よく頑張ったなあ」と温かい声をかけてくれました。

虎夫さんから引き継いだ虎屋の看板を輝かせたい。
目の前の海と向き合って塩とうどんを作りたい。
家族と従業員の暮らしを支える業績を継続させたい。
五島に新しい働き方を生み出して、島に帰ってくる人や移住する人を増やしたい。
五島にこんな生き方をする会社があると全国に知ってもらいたい。
そして、大切な海を未来に手渡していきたい。
欲張らないと決めたのに、夢がたくさんできてしまいました。でもこの夢こそ、「何も教えなかった」虎夫さんへの恩返しです。もし手取り足取り教わっていたら、僕たちは虎夫さんが作っていた塩とうどんを引き継ぐ会社のままだったでしょう。
虎夫さんの戒名には「海」の字が入っていますよ、お坊さんにお願いして付けてもらいました。
あちらでも毎日、海を楽しんでいますか。
















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