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五島暮らし
上五島の四季をお届けするコラム


60歳からの五島移住島へ帰ってきたロクさんと、10年後追いかけた比呂美さん
似首(にたくび)郷の港で。左から、南慎太郎、こころ、宮内比呂美さん、緑郎さん 「五島暮らし」と一口に言っても、その暮らしぶりは人によってさまざま。これまでも上五島の親戚や知人にお話を伺いましたが、今後もゲストに時々登場いただくことにしました。そこで、「となりの五島暮らし」として新たにシリーズ化! 今回のゲストは、我が家のご近所に住むご夫婦・宮内緑郎(ろくろう)さんと比呂美さん。2012年、60歳で退職して故郷の上五島に帰ってきた“ロクさん”こと緑郎さんと、その10年後に緑郎さんを追って大阪から移り住んだ比呂美さん。ご夫婦それぞれに楽しくてしかたない「60歳からの五島暮らし」について、南こころがお茶の間で聞きました。 ◾️島に帰るきっかけは「虎夫に会ったから」 こころ 緑郎さんは昭和27年生まれで、私の父・虎夫と魚目(うおのめ)小学校の同級生だったんですよね。卒業後は島を出て長崎市内の中学校・高校に進学、大阪で就職されたと聞きました。なぜ、上五島に戻ろうと思われたんですか。 緑郎さん 毎年、結婚記念日(東京オリンピックにちなんで
7月13日読了時間: 9分


「獲れなくなったら山に上がれ」伝説の漁師・濵上洋一さん
今日は、僕が海を大好きになるきっかけをくれた人について語ってもいいですか。僕が生まれ育った魚目集落で知らない人はいない、伝説の漁師・濵上洋一(はまがみ よういち)さん。名前からして、海の男でしょう? 僕が30歳をすぎて夢中になったのが、クエ漁です。クエは「神様の魚」とも言われ、滅多に獲れません。顔も体の模様もかっこいいし、漁師を魅了する魚です。そのクエを獲る名人が、洋一さん。 元はと言えば、父が尊敬していた人で、僕は幼い頃から父にひっついて洋一さんの漁を間近で見せてもらいました。船の名は「千勝丸」。奥さんが操縦し、洋一さんが潜るスタイルは夫婦船と呼ばれました。 何がすごいって、洋一さんは3分も素潜りできるんです。ただ潜るだけじゃない、そこで魚や貝を獲る。僕も潜水に自信があって1分~2分なら余裕で潜れますが、あんな深い場所まで辿りついて漁をするなんて到底できません。 現代のようにハイスペックな道具がない時代に、洋一さんは水中眼鏡と硬いゴムのフィンだけで20mの深さまでゆっくり潜って、珊瑚や岩場に潜む魚が出てくるのをじっと待つんです。
2025年9月25日読了時間: 3分


今朝は何の魚が泳ぎよるかな?定置網は海の玉手箱!
見てください、夫・南慎太郎の満面のドヤ顔。
2025年6月19日読了時間: 2分


桃の節句は「海開き 山開き」
お節句ですね。上五島では旧暦でお祝いするので、お雛様を出すのは3月3日から4月3日まで。父(虎屋を創業した犬塚虎夫)は私が幼い頃、桃の節句が近づくと「重箱持って、山へ遊びにいこうや」とよく言いました。最近ふとそのことを思い出して、叔父(父の2歳下の弟)に尋ねたら、とても面白い昔話を聞かせてくれたので皆さんにお伝えしなくちゃと。ここからは叔父・犬塚忠生が語ります。 * 僕が小学生やった、昭和30〜40年代の頃の話ですよ。4月2日は「海開き」、3日は「山開き」。海水浴や登山が解禁される日ではなくて、海や山で子どもたちが遊ぶ日のことをこう呼びました。僕は山開きしか行ったことがないけども。番岳って山の8合目、子どもの足で30分ほど歩く、原っぱでね。集落にある6班の子どもたちが早い者勝ちで場所取りして、朝から日が暮れるまで遊びました。 一番の楽しみは、「重開き(じゅうびらき)」。木の弁当箱みたいなお重に、ご馳走を詰めてもらったのをみんなで食べるんです。貧しい時代だからご馳走といっても、ふかしたサツマイモか麦ご飯を入れてくる子が半々くらい。家が漁
2025年3月3日読了時間: 3分

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