かなわない名仕事 伝統漁「イカの夜曳釣り」
- yamaguchi5865
- 6 日前
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更新日:1 日前

アオリイカの季節です! 11月の終わりから2月にかけて肉厚になり、島diningとらやでも僕が釣ったイカを提供します。イカは獲れたてを食べるより、1回冷凍したほうが甘くなって旨いんですよ。
最近は昼間に波止場から釣る「エギング」スタイルが人気ですが、僕は上五島の伝統的な漁「夜曳(よびき)釣り」をやります。今も有川湾で続けている人は3〜4人かな。満月あたりの夜、イカの多い漁場に出て月明かりで漁をします。イカって、昼は海底に沈んで、夜になると光に誘われて水面に浮き上がる習性があるので、夜の方がたくさん釣れるんですよ。
夜曳釣りのキモは「餌木(えぎ)」、いわゆる擬似餌(ぎじえ)です。大工だった親父は餌木作りの名人で、よく釣れると島で評判でした。自生する桐の木を切り出して、4〜5年陰干ししてから削り出します。しっかり乾燥させると締まって強くなるので。鉛を加工した錘(おもり)をつけて浮力を調整し、イカが掛かる針(尾のトゲ)を付けます。

僕の記憶では、餌木のヒレ部分に雉(キジ)の脇下の羽根が使われていました。柔らかくほどよい粘り強さがある毛を、昔の人は山の猟で見つけたんでしょうね。目が光って見えるようにまち針を使う人もいますが、親父は蛍光玉を釘で打ち込んで、釘の頭が魚の目玉に見えるように工夫していました。なんでそこまでこだわるのか? まるで生きた魚が泳いでいるように見せるためです。
夜曳釣りは、船をゆっくり走らせながら、釣り糸の先の餌木を泳がせるように曳いてイカを釣る漁です。言ってみれば、人間とイカの知恵比べ。その駆け引きが漁師にはたまらないんですよね。
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駆け引きの名人といえば、僕の大先輩でお友達でもある湯川衛治(えいじ)さん。御年78歳、還暦まで大工をやってから漁師になった人です。僕も昔は大工だったので、大工仕事も漁もたくさん教わってきました。衛治さんの漁が上手いのなんのって。昼の波止場釣りは3〜4時間やって10本がいいところですが、衛治さんと夜曳釣りに出ると一晩で50本釣 れることもざらにあります。

衛治さんは、とにかく感覚が鋭い人。ここにイカがいると察知する感覚だけでなく、アタリをものにするセンスがずば抜けています。つまり、餌木にちょっと触ったイカを確実に掛ける技術がすごい。イカが餌木を魚だと思って抱きついてくる瞬間を逃しません。掛かったイカを引き上げるのも加減が難しくて、力任せにすると餌木が割れたり糸が切れたりするのでね。そして、すかさず次の仕掛けを海に投げ入れる。一連の手返しの俊敏さ、道具さばきが素晴らしいんですよ。しかも、月明かりしかない中で。
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親父が釣ったイカを夜中にさばくのは、母ちゃんの仕事でした。冬の北風にあてて一夜、二夜干したイカをストーブでさっと炙ると絶品ですよ。正月のご馳走です。仕上がりが美しい方が高級品として価値がありますから、干す仕事も手が抜けません。イカスミを海水で洗い流して、竹串をさしてきれいに開く。ちょっと丸まっていたら、平らになるように砂を入れた一升瓶で伸すんですね、手打ちうどんを伸ばす要領で。揃えて10枚ずつ紐で縛るんですが、その姿形が美しい。母ちゃんの仕事は天下一品です。人によっては不揃いだったり、イカがスミで汚れていたり。やっぱり、手仕事には人が出るんですね。
イカは軒先の目立つ場所に干します、「うちはようけ獲ったぞ」って自慢げに。白くてきれいなイカがたくさん干してある風景は、その家の大漁旗ですよ。上五島の風物詩でしたが、もうずいぶん見かけなくなりました。
僕は、中学生の頃から漁が本当に好きだったので、名人たちの仕事を見ることに夢中でした。島の伝統漁を受け継いでいきたいので、若い世代が「連れていってほしい」と声をかけてくるのを密かに待っています。
なんて、えらそうに言ってますけど、僕の作った餌木では全然釣れないんです。ヒレの向きも錘のバランスも、親父の餌木とそっくりなのに。そして、衛治さんのように手早く確実に釣るなんてまだまだできません。僕には何が足りないんだろう。やさしさかなあ、今ふと思いました。名人たちはみんな、やさしいんですよ。

















